- おぼっちゃんほど,自分も人並みの苦労はしたと言いたがる.
- 防衛費などというものは一種の損害保険で,「掛け捨て」になったときが一番ありがたいのだ,ということも日本では通用しない.
- 余りに恵まれるということは,日本人がよく言うように「過ぎたるは及ばざるが如し」で,時にはかえって不幸を招く.
- ユダヤ人の議論好きは有名である.「シオニストが三人よれば五つ政党ができる」と,亡くなった前イスラエル首相エシコル氏は言った.
- 議論とは何十という珍案・愚案を消すためにやるのであって,絶対に,「思いつめた」自案を「死すとも固守」するためでない.
- 奴隷が虐待されたというのは後代の偏見で,最近の研究では非常に大切にされたらしいことがわかっている.
- 皮肉なことにヴァージニア州の最初の奴隷所有者は白人ではなく黒人の地主なのである.従ってこれは,もちろん単なる皮膚の色の問題ではない.
- 口蹄疫という病気にかかった家畜は殺処分される.奇妙な「思想」というウイルスをもった家畜(奴隷)がいたら,伝染を防ぐためにそれら家畜を殺処分するのは当然のこと.アウシュビッツとはまさにそういうものであった.
- 日本人が無宗教だなどというのはうそで,日本人とは,日本教という宗教の信徒で,それは人間を基準とする宗教であるが故に,人間学はあるが神学はない一つの宗教なのである.そしてこの宗教は,「人間とはかくあるべき者だ」とはっきり規定している.つまり一つの基本的宗規が存在するのである.
- どこの国の新聞でも,一つの立場がある.立場があるというのは公正な報道をしないということではない.そうでなくて,ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている,ということである.読者は,報道された内容と報道者の位置の双方を知って,書かれた記事に各々の判断を下す,ということである.
- 日本教の中心にあるのは,神概念ではなく,「人間」という概念なのだ.
- 日本に来た一人の宣教師がいた.彼が,銅製の仏像の前で一心に合掌している老人に,「金や銅で作ったものの中に神はいない」と言った.老人は「もちろん居ない」と.宣教師は「では,あなたはなぜ,この銅の仏像の前で合掌していたのか」と.老人は「塵を払って仏を見る,如何」と.宣教師はすぐに返事ができずにいると,老人は「仏もまた塵」とひとり言を言って去って行った.
- 日本語を学ぶということは,言語の習得だけではだめで,言外の習得まで入る.
- 「考え」たらソロバンはとまってしまう.意識的思考を極力排除して,無心で半ば放心状態で指を動かす,すると「答えが出る」.答えはあくまでも「出る」のであって「出す」のではない.
Wednesday 5 October 2011
日本人とユダヤ人
山本 七平 著
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